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もし、明日、世界が消滅するとしたら
最後になにがしたい?なにが食べたい?
そういった話って
何気にしたりしますよね
なので、真剣に考えてみました!
家族の事だったり
仲間の事だったり
友人の事だったり
そこにお金や物の事は出てこなくて
最後に食べるなら
ココイチがいいなーとか
スガキヤがいいなーとか
高級食材は一切出てこない
詰まるところ、お金は
夢や目的をかなえるための
交換アイテムなだけで
それ自体に価値はなく
お金で自分や家族や仲間や友人を
多くのストレスから守れるような
人になりたいから仕事をして
お金を稼いでいる
なのに、自分を振り返ってみると
親と会うのは年に数回
仲間と過ごす時間も月に数回
友達と過ごす時間は
多い方かもしれないけど
何か他の目的と一緒
もし、世界が明日消滅するならではなく
自分に残り
どれだけの時間があるかを計算してみた
70まで生きるとして
38年×365日=13870日
親があと20年生きるとして
20×365日=7300日
たくさん時間があるなと思ったら大間違い
ここから
一年に3回しか会わないとして計算すると
親の残りの寿命は…
残り60日
たった60日しかない
余命にすると2ヶ月
友人や仲間の余命も
単純に二倍で4ヶ月しかない
これに限っては
あくまでも70まで生きる事が
前提な話で実際は
明日死ぬかもしれない
もし、親や仲間や友人が
余命が数ヶ月しかなかったら
毎日でも会うだろうし
お金なんていらないから
救えるものなら救ってほしいと
神頼みしてみたり
できる限りの事はするだろう
でも、それが今はリアルに
感じられないから
死は予測ができないから
仕事など違うことを優先してしまう
本当にそれが正しいことなのか
相手が死ぬ間際
自分が死ぬ間際に気付くのだろう
ぼくは
過去にガンで余命宣告をされた
その時に
仕事よりもみんなと過ごす時間
自分が楽しむ時間を大切にしたいと思い
実際にやりたい事をいっぱいやった
もし、治ったのなら
食生活などの生活習慣を見直す
同じ生活はしないと誓った
はずだったのに、現実は
ガンになる前の生活と
同じような生活をしている
今一度、自分含め
みんなに本当は何が大切かを
ゆっくりと考える時間が
必要なのだと思う
目的地に早くたどり着く手段は
お金で買えるけども
時間や健康はお金で買えない
自分が本当にしたい事守りたい事を
しっかりと考え
それに見合った収入を稼ぎ
大切な人との時間を増やす
文字や言葉にすると簡単なのに
すごくすごく難しい事だ
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